ここでは、目標に向かって学習している生徒たちや、見事志望校に合格したOBの皆さんの声を一部ご紹介いたします。
【2025年2月 日大藤沢中学 合格手記】
挑戦してない人には信じられないことでしょうが、私には楽しかった記憶しかない受験勉強でした。
この私塾AYUMIに通い始めた4年生の秋。レベルは当然、学校より難しく、覚えなければならない量も圧倒的。先に受験にチャレンジを始めていた同級生との差もありました。例えば、そのの頃に挑戦したのが、工業地域とその製品、主要都市を覚えることでした。私は元々社会の暗記モノを得意にしているほどではありません。まるで手作りのカードゲームのように200枚ほど表裏にポイントを書き、繰り返しめくっているうちに、こんな私でも、いつの間にか頭に入っていました。この暗記法は、国語の四字熟語や慣用句など語彙や、理科の気体や岩石のことを覚えるときに活かされました。だからこそ、本来勉強嫌いの私も、覚える辛さはなかったのです。楽しくやっていたら、模試の偏差値でも合格ゾーンの判定が出始めていました。だから、あまり焦りもありませんでした。
ノン気がフツーだった私でも、本気でヤバいなと思ったのは、新年の受験ギリギリになった頃。第一志望にしていた日大藤沢中学の、過去問にチャレンジし始めた時です。まず、規定時間をかけても答案用紙が埋まりません。どこから手をつければいいのか、何を答えらいいのか、見当もつかないレベルでした。合格者平均が70点ほど問題でも、自己採点の合計で20点そこそこしかとれないのです。いくら鈍感な私でもこのままだと受からないことは、理解できました。そこから、入試前日まで毎日「過去問演習→採点→解説→それらの問題の再挑戦」という流れをひたすら繰り返すだけでした。ただ私としては、「合格したら何をどうしよう」などと、漠然と楽しいだけ考えていました。
あと数日しかないタイミングでは、流石に不安になりました。でも、これだけ(過去10年×3回分×4教科)をやりきった自信と達成感の方が勝りました。前日までできない問題が解けるようになる楽しさを、私は味わうことができていました。受験当日をワクワクして迎えました。とうとう最後まで合格者平均点にあと一歩と届かなかった科目もありましたが、先生から「自分が正解できる問題だけ確実にゲットできれば大丈夫と」前日に励まされました。多少なりとも自信が湧いて、不安はどっかに飛んでました。入試本番に緊張はなく、大いに楽しみました。
でも、ネットの合格発表は、心臓が口から飛び出しそうなくらい、本当にドキドキしました。生まれて初めての緊張でした。そして「合格」の2文字。あまりにもあっけなくって、実感がありませんでした。2025年3月 日大藤沢中学合格 FS
【広報部から】上記手記を書いていただいたFSさんのお兄さんは、当塾から鎌倉学園に一発合格しています。ご本人は作文の中で、勉強が「きつくなかった」「辛くなかった」と繰り返しおっしゃっていますが、これはあくまでも個人的な主観だったと申し添えておきます。現実的には、12月の冬期講習以後、算数だけで最低6時間以上を費やし、基礎から戻って繰り返し学習しきったのです。指導する我々側から見れば、「よくぞ、耐え抜きましたね。合格は、その真摯な姿へのご褒美です」と言いたいところ。少なくとも、兄妹そろってポジティブシンキングを持っていたことは、有利に作用しましたね。
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「合格」2文字の嬉しさ (24年度・県立茅ヶ崎北陵高校合格)
入塾を考え始めたのは、中2の冬期講習前。きっかけは、周囲が受験を考え始めたからという、いたって単純なものでした。ネットや友人の話から、いくつかの塾を調べていて、某大手塾に決めようと思っていた矢先、母がここ私塾AYUMIも候補に挙げてくれました。
当時の私にとっても、「ピッタリな塾」という直感があり、体験入塾。アットホームな雰囲気がありながら、学習面では妥協しない先生方。当初の緊張も、すぐに独特な学習方法にも慣れていく間に、ほぐれていました。
それからというもの、過去には体験したことがないほど、真剣かつ中身の濃い勉強に取り組みました。その後の時間の経過は、本当にあっという間。3年1学期のいくつかの教科での失敗も、2学期末には大逆転。気づいたときには、正月特訓を含んだ冬期&直前講習に突入していました。勝負の冬は、正直大変でした。勉強はもちろんでしたが、「受かるのかな?」という精神的な面でも、不安定でした。
そんな危機を何とか乗り越えて、受験当日。「誰しも、緊張する」と聞いていた割には、私はそうなりませんでした。むしろ、眠たいという感覚の方が強い入試でした。というのも、直前期に教えられた『受験生の心得・まず会場に入ったら必ずやるルーティン』は、大いに役立ったからでしょう。試験問題は、眠い目をこすりながらも、あきらめずに格闘できたと思います。
さて、発表当日。インターネットで合否確認。試験当日にはなかったほど、心臓がバクバク。そんな私の目に飛び込んできた『合格』の二文字。言葉にならないほどの嬉しさが、こみ上げてきました。私が、この高校合格を実現できたのも、ここ私塾AYUMIの先生方の厳しいけれど楽しい授業があったからです。付け加えれば、夏の課題の「読書感想文」において県佳作に選ばれました。また、美術のボールペン画が、神奈川県から入選として表彰状を受けることが出来たのも、意外でありうれしい出来事でした。いずれにしましても、この塾が様々な面で支えてくださったからだと感じています。本当に、感謝しています。短い期間でしたが、一言。
「本当に、ありがとうございました!!」。 二宮西中学校 A.Sさん
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ゲーム機を塾に預けた (22年度・県立平塚中等教育学校合格)
僕は小3の夏、この塾に通い始めた。小4になったとき、平塚中等に挑戦してみようと思い始めた。そして、合格を目指すため、受験コースの勉強を始めた。 それから、3年間はあっという間だった。結果的には、試し受験に挑戦した千葉県の「専大松戸中」、私立では「山手学院中」、そして第1志望の「平塚中等教育学校」の合格を実現できた。でも、その道のりは順調ではなかった。 僕はゲームが大好きだ。塾は休まず、しっかり授業は受けていた。また宿題はちゃんとやったが、それ以外の時間はほとんどゲームをしていた。そのせいもあったのだろう、5年生の夏にはライバル視していたHさんに点数で抜かれてしまい、勝ったり負けたりの状況だった。それまでの成績に慣れていたので、「とても悔しい」と感じた。「さすがに勉強時間を増やさなければ、マズい」と思った。でも、宿題以外の勉強まで手を広げていなかった。結局、ゲームの魅力からは、逃れられなかった。この様子を見ていた母を、とても困らせてしまった。受験自体をさせないとも言われたこともあった。 ラスト3か月、『いよいよ本格的にヤバい』と思い始めた頃の3者面談。この面談で具体的な受験校を決めるとともに、「決意を何か行動で示せ」とアドバイスをもらい、大好きなゲーム機を全て塾に預けることを決めた。(本部教室の白板の横に置いてあったのが、僕のゲーム機です)。それから、志望校の過去問題集を徹底的に解いた。ただ解くだけではなく、間違えたところや弱点を何度も繰り返すことに重点をおいた。指導されて作ったペケ問ノートは、どんどん増えていった。そして最後の模試では、一年間で一番良い偏差値を残すことができた。 1月中旬の専大松戸中の入試は、最初はものすごく緊張した。ただ、国語・算数・理科・社会と受けていくうちに、準備した手応えもあり、緊張がほぐれた。実力を出し切れたと思った。この合格を手にして、横浜の山手学院中に臨み、その合格を手にして、本番の平塚中等の日になった。5倍近い倍率とは聞いていたが、あまり緊張しなかった。でも、発表の日まで合格できたかどうか、自信はなかった。 発表当日、開かれた掲示板に自分の番号を見つけたとき、本当に嬉しかった。これまでに経験したことのない、嬉しさだった。 こうして僕は、平塚中等教育学校に通う中学生になる。間違いなく勉強は難しくなったり、苦労することも、今までよりも増えるだろう。だが逆に、部活動や体育祭や文化祭などの行事など、楽しいこともたくさんあるはずだ。だから、今僕は中学校生活が楽しみだ。 順調ではなかったけれど、第1志望の合格まで指導してくださった私塾AYUMIの先生方と、僕を支えてくれた父・母・姉など家族に、本当に感謝している。(22年春 YY)